■浅山一傳流体術(あさやまいちでんりゅうたいじゅつ)


浅山三五郎一傳斎は、幼名は内蔵助、諱を重晨。丹波浅山村不動に祈願して開眼し、流儀を広めた。当伝の浅山一傳流は会津藩に伝承された。剣術、居合術、棒術、体術等の総合武術であり、第十二代田中保、第十三代大倉直行と伝えられた。大倉直行は明治末期に文京区白山御殿町に「武徳館」道場を開設し、多くの門人で栄え、講道館柔道の門下生も多数いた。柔道家の徳三宝に「あそこ(武徳館)に行ったら腕をへし折られるぞ」と言わしめたほどの厳しさであった。最高弟の永沼経行は警察その他で教え、現在その一子永沼良行が第十五代宗家を継いでいる。